C’est la vie. これもまた人生。

ただ言葉にして残したい今の気持ちを思いのままに。

Samuel Johnsonと赤西仁

 

大学のある講義で興味深いことを学んだので

久しぶりに、とブログを更新してみる。

 

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18世紀イギリス

 

当時、詩人・ジャーナリスト・辞書作成者・小説家・批評家・随筆家

として活躍していた人がいます。

 

名前は Dr.Johnson (Samuel Johnson)

彼は豊富な学識もさることながら、

豪快で温情溢れる人柄に多くの崇拝者を集めました。

 

彼が「英語辞典」の編纂を計画したとき、当時国務大臣

Chesterfield が援助を拒絶しながらも、

7年間にわたるJohnsonの超人的努力の結果

いざ辞典が出来上がると聞くや、ロンドンのThe world誌上に

二回もJohnsonを弁ずる文を掲げて、暗に献辞を得ようとしたので

これに一矢酬いるために書かれた書簡があります。

 

“ LETTER TO LORD CHESTERFIELD ”

 

これに書かれた内容を読んで第一に

「赤西君じゃん」と思ってしまった私・・・

 

とりあえず、その内容を読んでください

(長いので抜粋して書きます)

 

but I found my attendance so little encouraged,

that I neither pride nor modesty  would suffer me to

continue it. ”

「しかし私の(閣下への)訪問はあまりに喜ばれなかったので

誇りをもってしても、また謙虚をもってしても

訪問を続けるには忍びないことを知りました。」

 

I had done all that I could; and no man is well pleased to have

his all neglected, be it ever so little. 

「私は私にできるだけのことをしました。どんなにわずかな

ことであっても、自分のなした努力のすべてが無視されて

満足するものはありません。」

 

 

そして一番読んで欲しいのは次の文

 

 

Seven years, my lord, have now passed, since I waited

in your outward rooms, or was repulsed from your door;

during which time I have been pushing on my work through 

difficulties, of which it is useless to complain, and have

brought it, at least, to the verge of publication, without 

one act of assistance, one word of encouragement,

or one smile of favor. Such treatment I did not expect,

for I never had a patron before. ”

「閣下。私が閣下の控室で待たされたり、玄関払いを受けてから

7年になりました。その間、愚痴をこぼすのも無益な数々の困難を

切り抜けてわが事業を押し進めてきました。そして一つの

援助も受けず、一言の励ましもなく、一笑の恩顧もなく、ついに

出版の間際までこぎつけました。私はこれまで保護者というものを

仰いだことがなかったために、そういう待遇は期待して

おりませんでした。」

 

 

 

辞典の編纂をしている最中は

何の援助もない

誰も励ましてくれない

地道に一人で突き進んだ7年間・・・

 

「よし!できた!!」

その声を聴いた瞬間手のひらを返したように

「よくやった!すごい!!すばらしい!!」

と言う。

(きっと彼は辞典の完成を機にたくさんの仕事が

依頼されただろうと予想できるが、閣下は

あわよくば波に乗った彼と一緒に仕事をして

金稼ぎをしようとでも考えていた?)

 

 

 

脱退、デキ婚、退所を通して

「海外へ移住か 日本から逃げた」

「子供が出来てもやめられない夜遊び」

「離婚秒読みか」

ないことばっかり書かれて報道されて

火のないところにも煙が立った・・・

 

海外で日本人アーティストとして

数々の賞を受賞

ニューアルバムが出ればチャート上位

二人目妊娠のニュース

「未だ根強い人気のある」

「仕事もプライベートも順調」

「年会費で荒稼ぎ」

(最後のは少し心外だが。)

 

世間様の赤西君へのイメージは

決して良いとは言えるものではなく

何かと悪い噂ばかり流れてしまう

 

それでも自分で立ち上げた会社で

毎年アルバムも出すしツアーもやるし

時々、家族での目情もあったりと

やりたいことは続けつつ、守るべきものは

きちんと守り続ける

 

 

今さら何ですか、

そんな待遇は期待してませんけど、

と言わんばかりの手紙を

本人に書いてしまうJohnsonも

 

それは本当の俺じゃない、

勝手に偽物の俺を作り上げてくれてありがとうな、

と歌う赤西君もどこか似ている

 

 そして

「愚痴をこぼすのも無益な数々の困難を

切り抜けて我が事業を進めてきた」

 

この文にはJohnsonと赤西くん二人に通ずるものが

あるなぁと。

 

 

 

「忖度」という言葉を聞いて「どういう意味?」と聞く人は

もはやいないと言っても過言ではない今の時代ではなく、

300年近く昔、さらにはイギリスでのこと

 

今も昔も

周りがあぁ言えばコロッと手のひらを返したように

急に態度を変えてすり寄ってくる

厄介でめんどくさいやつは存在するんだなぁ

と驚きつつ

 

全くの他人からあぁだこうだ言われて

どれだけ不当な扱いを受けても

才能のある人は誰かが必ず見て気づいてくれるし

努力のできる人はどんな形であれ必ず光を浴びる

 

 

 

そんなことを考えながら講義を聞いていました(笑)

 

やたらと長い文になってしまいましたが

ただJohnsonと赤西君が重なってしまった、

という話です(笑)

 

くだらない話を最後まで読んでくださった方

ありがとうございますm(__)m

 

 

 

ところで赤西君

まぁまぁやばい・・じゃなくて

まぁまぁな発表はまだですか????

 

 

 

おわり

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